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2021年度 リレー日記

この3000字で単位ほしい

投稿日時:2021/11/27(土) 21:12

 5年目の白石です。今回のリレー日記は、5年目にして初めて徹頭徹尾、真剣に書かせて頂きます。もはや日記と言う長さではなくなっていますが、未来の東工大ラグビー部と路頭に迷っているかもしれない未来の自分に宛てて、今の思いを残したいと思います。
 さて、今年のリーグ戦も残り1試合となりました。「光陰矢の如し」と言う様に、試合の少なさも相まって、一瞬のうちに容赦なく時が流れた気がします。更に振り返ると、私自身の月日も矢の如く、気が付けば人生の約四半の時をラグビー部で過ごしてきました。入部した当時を思い返すと、自分もチームも色々と変わったものだと柄にもなく感傷的になってしまいます。
 変わったと言えばやはり部員の顔ぶれです。人間の体内で組織を成す細胞が、代謝によって1~2年のうちに全て入れ替わるように、人間が集まった組織も絶えず代謝されます。来る人がいれば去る人もいる。国も家族も部活動も同じです。類にもれず4年前と今とでは東工大ラグビー部の部員も全く変わりました。しかし、体の細胞が全て入れ替わっても別の人格にならないように、150年前から生き残る人がいなくても今も変わらず日本が日本であるように、代謝しても組織は変わらず生き続けます。東工大ラグビー部もまた顔ぶれは違えども、4年前も今も“東工大ラグビー部”です。
 そんなことを考えるうち、私は組織が“生き続ける”ために必要なものは何だろうかと考えました。と言うのも、組織を成す人が絶えないと言うだけでは、組織が生き続けるには不十分ではないかと、変わりゆくラグビー部を見ながら思ったからです。私は、組織の中には受け継がれる決して変わらない幹のような“何か“があり、それがその組織が生きていることの意義と証明になるのではないかと言う考えに至りました。勿論、組織の代謝によって変わりゆくものも多くあります。しかし、メモリーと言うか、レガシーと言うか、カルチャーと言うか、そこには確かに変わらぬ”何か“があり、それがその組織をその組織たらしめるのではないかと思うのです。例えば、現在日本に住む日本人1億人を海外から連れてきた1億人に置き換えたとしたら、日本と言う名の国は存在するでしょうが、我々の知る「日本」は死んでしまうでしょう。何世代も受け継がれ、もはや無意識のうちに我々を育て、生かし、日本人を日本人たらしめている”何か“(この場合は文化や情緒、価値観など)が「日本」を生かしているのです。
 では、東工大ラグビー部を生かしているその“何か”とは何でしょうか。実は、これがこの長ったらしいリレー日記の本題です。東工大ラグビー部の原点であり、少なくとも4年前から変わらず部を支え続けている根幹について、私の持論を駄文として残したいと思います。
 東工大ラグビー部の変わらない“何か”、それは単刀直入に、「勝ちを目指す“意思”」だと私は思っています。この部のあらゆる活動はそこからスタートしています。
 一般的な大学のサークル活動は娯楽を目的としたもの、即ちその活動を楽しむことのみを目的として行われているものが大半です。時には勝ち負けがあり勝ちたいと思うかもしれませんが、そこでの「勝ちたい」と言う気持ちは意思ではなく本能的な感情によるものでしょう。しかし、東工大ラグビー部はそんな楽な道を捨て、勝ちに対して自ら“意思”を持って立ち向かう険しい上り坂を選んできました。
 なぜ自ら険しい道を選択するのか。なぜ一度しか無い学生生活のうち週5日もラグビーに割くのか。その答えとして、私は三点挙げたいと思います。
 一つは、圧倒的に負けず嫌いが多いことです。部に受け継がれるものや、チームの活動に賭けた時間が負けたくない気持ちにさせている部分も有りますが、会社で出世している監督や馬券を握りしめていた先輩を見ていると、根っからの負けず嫌いが集まっているなと思います。曲がりなりにも受験戦争を勝ち抜いただけのことはあります。
 もう一つは、部員が皆理系であることです。私は、理系の原点は、好奇心と野心にあると思っています。未知のもの、分からないもの、そう言った困難を自ら求め、その先にある誰も知らない、見たことのない場所を目指すことで、大げさですが、科学は発展してきました。部員の中にも、将来社会にイノベーションを起こしたいと思う者も少なくないでしょう。そんな僕らにとって、東工大がラグビーで勝つこと、入れ替え戦に行くこと、優勝すること、これらは言わば小さなイノベーションなのです。東工大は未経験者が半数を占める一方で周りの大学はスポーツ推薦や花園に出場した選手を擁し、傍から見れば東工大は不利です。部外者に東工大の順位を言うと大概「“意外と“強いね」と余計な言葉が付いてきます。しかし、だからこそ理系の端くれとして、その逆境や思い込みの世界にイノベーションを起こしたい野心に駆られるのだと思います。
 さて、“勝ちたい“と言う意思の出所について部員の特性から二点挙げました。これらも代々変わらないものですが、私が思う最も大きなモチベーションは、「継承」だと思います。あるいは「文化」と言うのかもしれません。
 このリレー日記を書きながら、私はふとある景色を思い出しました。それは私が1年生のリーグ最終戦。当時、勝とうが負けようが、目標としていた入れ替え戦出場は叶わないと言う状況でした。しかし、そんな状況でも当時の4年生を始め先輩方は、最後まで勝ちを目指す意思を持って戦っていました。そして、最後の試合に勝った時、夕日に照らされた誇らしげな先輩方の顔が私の眼に焼き付きました。何て美しい景色だろうと。
 正直当時は、何がそんなに先輩方を駆り立てるのか分かりませんでしたが、今ははっきりと分かります。先輩方もまた、更に先輩方の“意思”を見て、それを下の代に受け継ごうとしたのでしょう。優勝や入れ替え戦を目標に据えられる今の東工大ラグビー部があるのは、更に前の代から、そうして継承された“意思”によって少しずつ登ってきたからに他なりません。そのことに気が付いた時、私は腹の底から「勝ちたい」と言う思いが湧いてきました。私が東工大ラグビー部の挑む長い上り坂を登れたのかは分かりませんが、せめて勝ちたいと言う“意思”は最後まで貫きたいと思っています。 “意思”は継承され文化となる。その“意思”こそ東工大ラグビー部を東工大ラグビー部たらしめる“何か”なのです。その先にはきっと更に美しい景色が待っているはずです。
 さて、この長いリレー日記もいよいよ終わりが近づいてきました。ここまで、東工大ラグビー部を東工大ラグビー部たらしめるのは「勝ちを目指す“意思”」であること、その元は部員の特性からくる意欲と継承される文化であることを述べてきました。最後に書かせて頂きたいのは、そもそも全てが”意思“だと言うことです。何を目指すのか、先輩の意志を継ぐのか、どれだけ本気になるのか、何を残すのか、全ては部員自身が決めると言うことです。そうして始めて、東工大ラグビー部で過ごす時間が本当の価値を持つのだと思います。自分の人生を自分の意志で決めるように、東工大ラグビー部の生きる道は部員自身が決めるべきです。
 終わりに、未来の東工大ラグビー部、そして自分自身への戒めとして、母校春日部高校の校歌の一節を残したいと思います。
「忍耐剛毅 我が剣」
やらされることに耐える盾の忍耐ではなく、“意思”を貫く剣の忍耐を。
東工大ラグビー部よ、強くなれ。

 

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