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リレー日記

天才への嫉妬

投稿日時:2018/03/01(木) 07:41

 どうもこんにちは一年の早舩です。
もう新入生が入ってくる時期になり僕の学生生活も一年が経とうとしております。
そんなわけでそろそろ勉学にも力を入れて行こうと思っています。
とりあえず英語、専門分野でも他を圧倒するような努力をしようと思っています。

 時に皆様、唐突ではありますが天才というものは存在するのでしょうか。
僕は”存在しない”と思っています。
因みにここでいう天才とは抽象的ではありますが、0から急に10000を生み出す事と定義しています。
万物の変化、現象には必ず原因があります。そう、結果には過程が必ず存在するのです。
それら無しに何かを生み出す事はできません。
かのアインシュタインも理論を一つずつ構築していったはずです。

 でも天才はいるではないか。そう腑に落ちない部分があるのではないですか?
その通りだと思います。テレビでもよく出てくると思います。
これは言葉の定義の問題ですが、次に示す二つが僕が生きてきた中で思う天才?だと思っています。

 それは記憶力と努力です。(これは天才とはいわないでしょう。。)

 記憶力は先天的なもので、人類において少なからず個体差があります。
なんでも記憶してしまう記憶力の王様、サバン症候群が顕著な例と言えるでしょう。
なぜ記憶力が関係しているかはすぐにわかると思います。考え方、知識のバリエーションが増えるからです。
しかしこれを持つ人は殆どいないでしょう。僕の知り合いでも一人いるくらいです。
 それと努力です。言うまでもありませんが、いくら記憶力があっても努力をしなければ意味をなしません。
努力の仕方にも幾らかの差は生まれるでしょう。薄々感じているとは思いますが、僕も含めてこれを見ている人は殆ど努力の仕方で他と差をつけて来たのではないでしょうか。

 これをスポーツにも結びつけてみようと思います。
そう、もちろん天才はいないのです。運動神経の差は中脳に記憶された行動パターンのバリエーションの差です。
しかしこれも一種の記憶力や幼少期の行動に左右されてしまい準先天的なものと言えてしまうでしょう。
あと残るのは???  そう努力です。筋肉トレーニング、日々の練習の積み重ねがそれに当てはまるでしょう。
努力の力を舐めてはいけません、記憶力との二大巨塔の一角を担う存在なのです。
僕も勉強、スポーツ共に今まで努力で戦って来ました。
また東工大が戦う相手は決して努力でカバーできない相手ではないはずです。

結論:今日も僕は筋肉トレーニングに励みます。

追伸:これはあくまで個人的見解であるので、客観的な視点で見てもらえると助かります。